日本語の読み「nihongo no yomi」

Sunday, October 17, 2004

天声人語 [ten sei jin go]

  doki no totte no tokoro ga moe agaru hi no you ni mo mieru. nawa bun jidai no hikaen
 土器の取っ手の所が、燃え上がる火のようにも見える。縄文時代の火焔
(kaen) doki ha iwabakata wo nashita en na no ka do ki kara ukiyo e made wo hitotsu
(かえん)土器は、いわば形を成した炎なのか。土器から浮世絵までを一つ
no kai ni tenji shita 'nihon bijyutsu no nagare ga toukyou ueno no toukyou kokuritsu hakubutsukan
の階に展示した「日本美術の流れ」が、東京上野の東京国立博物館
no honkan de koukaisareteiru.
の本館で公開されている。

 古墳の時代、仏教の伝来と興隆、平安、室町の宮廷美術、禅、茶、武士の装い、能、歌舞伎――。国宝や重要文化財も並ぶ。年代順なので、大きな流れがつか みやすい。特定の時代や部門への入り口にもなる。流れをたどって改めて思うのは、日本で花開いた美の深さや静けさと、大陸の存在の大きさだ。

 隣り合う平成館の「中国国宝展」(11月28日まで)にも入る。悠久の歴史が育んだ国宝級の文物を多数集めたという。さまざまな表情をたたえた仏像や、数千の玉を金でつないだ玉衣にもひかれるが、仏や王ではない人物像にも魅力があった。

 例えば、秦の始皇帝の陵から出土した「船漕(こ)ぎ俑(よう)」だ。両足を前に伸ばして座る男が、足先近くまで伸ばした両手で何かを握っている。2千年以上も、ろを漕ぎ続けてきたのか。なぜか親近感を覚えた。

  唐の時代の「女子俑」は、40センチ強の、ふっくらした女性の立像だ。長衣をまとい、左足に重心を傾けて悠然とたたずむ。豊満な形の俑 は、玄宗皇帝の治世になってから、特に好まれたという。玄宗皇帝が、客死した日本の遣唐使を特別に埋葬したとの報が先日流れた。遣唐使は、こうした女性た ちとも出会ったのだろうか。

 本館の「流れ」とも重ねながら、大陸との架橋となった人たちの足跡をしのんだ。

source: asahi shinbun 2004/10/18

新しい言葉「atarashii kotoba」


文書と使い方説明「bunsho to tsukaikata setsumei」

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